アートプロジェクト沙庭での展示にて
先週は4日間の信濃追分 旧油屋旅館滞在
不思議と朝に強くなってしまう旅先
ギャラリーのオープンまで
早朝 あたりを歩いてみる
追分とはまさに分かれ道のこと
この宿場町は中山道と北国街道が交わる
右へ行けば北国街道 左は中山道 |
徒歩で移動していた江戸時代まで大名や人々の往来で賑わっていたという
元禄時代には旅籠屋71軒 茶屋18軒 商店28軒を数え
飯盛女も最盛期には200人以上もいたとされるほど栄えた
しかし明治期の信越線開通により往来は現軽井沢駅方面へ移り
今はその名残をかすかに偲ぶ
移動手段は文化を変える
堀辰雄ら文人が油屋旅館に逗留し執筆にいそしんでいた頃には
すでに江戸期の賑わいは薄れていたように思う
追分宿を抜け国道へ出ると
木々の間より浅間山
別荘地の木立をぬって御代田方面へ足をのばすと
視界が広がり川縁に
軽井沢は湯川上流からの冷たい流れを
ここで10cm程度に水深を浅くして 日の光で水を温め
下流へ農業用水として供される
冷たすぎる水では米に良くない
水路を掃除していた翁より伺った話
(翁というには少し失礼か)
ここを御影用水という
緑の護岸と穏やかな流れ
人のいない静かな朝
オランダにいた頃を思い出した
作業の手を止め 語ってくれる翁の姿と
川面をわたる風の心地よさ
知らない町 朝の散歩はたのし